餓鬼岳登山〈2021年7月〉

#003 柏原クリニック 副院長 山﨑 恭平

 4月から、塩尻の自宅から、ここ穂高の柏原クリニックに高速道路を運転して通勤しています。まだ、雪が残るアルプスが目の前に広がります。北は白馬3山、五竜、鹿島槍、爺が岳と後立山連峰。有明山の南へ、燕岳から、常念、蝶ヶ岳へと続く常念山脈。大パノラマを見ていると、本当に安曇野に住んでいて良かったと思えます。その山脈ですが、30年以上かけてほとんど、登っていたのですが、一つだけ登ったことのない山がありました。それが餓鬼岳です。有明山の北に、尖った山頂を持つ、美しい山です。それも、穂高近くになると目の前に大きくなります。

 去年はコロナのため登山はあきらめましたが、それまでは駒ケ根に住んでいたので、年に1回、南アルプスか中央アルプスのどこかに登山していました。今年はどうしようか、迷っていたのですが、既にワクチンの2回接種も終えているし、登山のガイドブックには、餓鬼岳は人があまり来ない山と紹介されています。6月に餓鬼岳小屋に電話してみると、“心配なら、個室にしてあげるよ“と言われました。駒ケ根の登山仲間に相談すると一緒に行ってくれると言うので、5人で7月22日海の日の連休に行くことにしました。

 柏原クリニックの駐車場に集合して、事務の小原君に登山口まで送ってもらいました。登山口はアルプス安曇公園大町の奥にあります。ここから、白沢という沢伝いに何度か渡渉しながら、登って行きます。紅葉の滝、魚止めの滝と言う立派な滝があり、野生の薄紫のガクアジサイの花が咲いていて、癒されました。ところが、沢も終わり、登りになると、想像以上の急登で、また道が整備されておらず笹薮だらけで、あっという間に息が切れてしまいました。それからは30分登って、5分休みというペースで何とか、2時間遅れで、山小屋に到着しました。山頂はガスが出ていたので登頂は明日の朝にして、みんなでビールで乾杯。冷えたビールが売っていて、美味しかった。このための登山と言った感じ。

“餓鬼岳山頂” 小屋の朝は早く、5時から朝食。でも疲れていてあまり食べれませんでした。山頂に出ると、360度眺望が開け、立山、剣、裏銀座、槍、穂高、南アルプス、富士山、八ヶ岳、そして、足元のコマクサを楽しんだら、剣ズリに行く予定を中止して、即下山。登山では一番遅い人がペースメーカになるので、最初は僕のペースで歩き始めました。ところが、途中から、小児科の先生のが、ばて始めて、ふらふらするので、ベテランの元名古屋大学山岳部の先生と、バリバリの現役の登山家の看護師の男の子(彼は僕たちを安全に登山させるため、7月初めに、日帰りで餓鬼岳に下見に来てくれていたのです。)が先生の前後について、下山。僕は勝手に先に行かないように、後ろへ回されてしまいました。登りより、さらに遅いペースで降りて来ました。沢に降りてきて、滝の見えるところは、岩壁に板が這ってあって、鎖が渡してある。鎖を掴んで板の上を歩いて行く。木が茂っているので,登りの時は気にしていなかったけど、木の間から下をみると50mくらいの絶壁で、下に、谷川が見えました。危ないんだなと思いました。しばらく、行くと先頭の3人が立ち止まって、もめていました。聞いてみると、赤いリュックが川に落ちている。そこも、川から30m上なので、良く見えない。そこで、河原が見えるところまで少し下ってみると、リュックだけでなく、半分水に浸かり完全に動かなくなっている人の姿もあることがわかりました。遠目ではありますが、既に亡くなって時が経っているようでした。山の途中では携帯電話は全くつながらないので、下山して警察に通報することにしました。その先には危険な場所はなく、ひたすら降りて、無事下山。迎えに来て、4時間も余計に待ってくれた小原君には感謝です。結局、落ちていた方は、群馬から一人でいらっしゃって、前日下山しようとしたらしいとのこと。ご家族のもとに帰してあげることができ、本当によかった。心よりご冥福をお祈りいたします。

 今回は、自分の体力以上で、なおかつ、危険な登山だった。ただ正解だったのは、優秀な仲間と行ったこと。登山中はもう、登山は引退と思っていましたが、人間というのは、苦しかったことは、すぐ忘れて、楽しかった瞬間のみ思い出すもので、私もまた来年もどこかの山に行くと思います。ただ、もう少し体を鍛えないと。

 この苦しかった登山で、冬から春に見える、あの北アルプスのパノラマの中央にある餓鬼岳は確実に僕の心に刻まれました。

【関連ページ】
柏原クリニック > 当クリニックについて > 副院長挨拶 『副院長就任にあたって』

<掲載日時 : 2021年08月20日>

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