医療法人金剛との出会いから現在

#001 柏原クリニック 医事課 医療連携/渉外 小原 圭一

1、始まり
 医療機器卸売り業者の営業として病院を外からお客さんとして見ていた私が、医療法人金剛に勤めることになったのは、春もまだ遠い令和3年2月のことだった。
 その前の年の秋、新型コロナウイルスの感染拡大での医療機関の訪問規制や、前の職場の体制刷新や異動の話で悩んでいた私に、医療法人金剛の経営を一緒に手伝ってくれないかと事務長から声がかかった。
 まだ小学生の娘もおり、不惑を過ぎ何度目かの転職の話に一瞬怯んだが、「ええい、ままよ」と決断にはそれほど時間はかからなかった。15年近く担当したこの透析クリニックは私の医療業界のキャリアと重なり、病院のスタッフとも年月を共有してきたからだ。
 初めて柏原クリニックの事務長に出会った15年前、私も医療業界に飛び込んだばかりで、わけもわからず新築移転前の旧柏原クリニックの夕闇で暗い廊下に佇んでいた。

移転前の旧柏原クリニック1F廊下

 当時の上司からは、「あそこは行っても何も買ってもらえない。完全アウェイだよ。」と言われていたが、当時の透析担当としてダイアライザー数本しか実績を作れていなかった私に初めて大きな商談を貰えそうなチャンスだったのだ。事務長がその暗い廊下を歩いてきた時、「〇〇の小原です。こちらのクリニックとはご縁がないものと思っておりました。」と話をしたのが全ての始まりだった。

2、全然違う仕事
 金剛に入社して実感したのは、これまで培ってきた経験は半分も役に立たないことだった。医学雑誌文献や学会情報、製品説明、立ち会い、機器メンテナンスなどそれなりに医療に貢献してきた自負もあったのだが、待っていた仕事はと言えば、窓口にもあまり行かずにずっとATMで済ませていた銀行での銀行マンとの折衝、会ったことも無い社会保険労務士や税理士などの職種の先生方との面会、行政機関や保健所への書類提出など、同じ医療業界でも全く違う職掌が求められた。日々、事務長や上司・病院のスタッフに一から教えてもらいながら、刺激的な新天地を過ごしつつ、一言に事務部門と言っても幅の広い職務に四苦八苦している。あの事務長に知己を得た15年前、それは、柏原クリニック、松塩クリニック透析センター、そして島々診療所が医療法人金剛として法人化されたタイミングであった。そのことを思うと、こうして医療法人の一員となった今では感慨深いものがある。

3、求める人と求められる人
 医学会で「スペシャリストを目指すかゼネラリストを目指すか」という議論を聞いたことがある。その時テーマは、ある分野の専門性を高めるか、万遍なく他分野の知識を持つか、だったような気がする。なぜなら疾患に苦しむ患者から診た場合、医療の現場から見ると究極のスペシャリストと言える。常に「求められる人」の頂点にあり、医療という極めて専門性の高い分野において、優れた問題解決能力を持ち合わせた存在であるからだ。
 私の場合は医療業界の端くれにいたとは言え、医療における専門性は追求する立場にはない。優れた医療機器・材料の準備や手配で患者様をサポートしろと叩き込まれた医療機械屋根性が抜けていなかった私には、私はこの「求める人」と「求められる人」の立場の違いが理解できていなかった。結局のところ、それは医療機器を販売して営利を得る「求める人」側の考え方だったのだ。患者から「求められる人」側の視点を身につけなければ自分の立ち位置は見えてこないかもしれないと知らされた。

4、それぞれスペシャリスト
 営業のお客さんだった医療法人金剛に入職した私も、少しずつワクチン接種の手続きやドクターの診療をサポートさせていただくようになった。
ドクターやスタッフに教えてもらうことは日々たくさんあるが、一緒に働いている中で、医療以外でも「この人はこの分野でもスペシャリストだな。」と感心することがある。グルメやIT関係、文化の話から貴重な体験談まで、驚きや感動を伴う話題が飛び交うことがある。
世間はまだまだコロナ禍で、なかなか交歓ができない中、スタッフがそれぞれ持ち合わせているエピソードを私も聞いてみたいし、医療法人金剛に親しみを持ってもらえるのではないかと思う。
私の場合まだ社歴も無いので、入社のいきさつや仕事への思いを綴ったに過ぎないが、各分野で活躍するスタッフにこのブログのバトンを繋げて頂きたいと思った次第である。

<掲載日時 : 2021年07月05日>

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