第9回安曇野マラソン参戦記

#010 柏原クリニック 院長 山﨑 恭平

 今年3月の初め頃、何人かの外来の看護師さんたちが、安曇野マラソンのファミリーランに出るという話をしていました。これは親一人と小学生の子供一人のペアで2km走るというカテゴリーで、それはまた楽しそうだなと思いながら聞いていました。すると、看護師の小日向さんが、うちは子供がまだ保育園でファミリーランに参加できない、でも私、21.7kmのハーフマラソンに出たいから,誰か一緒に出ようよ、と周りの職員に声をかけ始めました。最初に声をかけたのは、諏訪青陵高校・野球部出身の放射線技師、小野君でしたが、あっけなく断られた様子。その後誰も同意する人はなく、何人目かで僕にも声がかかりました。さすがに女子一人で出るのはちょっとかわいそうかなとも思ったので、また、大会は6月4日なので、あと3か月あればハーフも走れるかなと思い、一緒に参加することに同意しました。医者のお目付け役で事務の小原君も参加、さらに、透析のMEで20代の松岡君、原君、30代の村治君,保居君の4人も出ることになり、結局、総勢6人でエントリーしました。保居君はマラソンの経験はあるけど、残り3人のMEたちは初めてとのこと。

 実は、僕は、松本協立病院にいた頃に、諏訪湖マラソンや駒ケ根マラソン、中川村マラソンなど、ハーフの大会に4、5回出たことがあります。タイムは、諏訪湖で一番良かったときで2時間くらいでした。ただ、ここ8年間は一度も大会には出ていません。マラソン自体は何も楽しくないけれど、終わった後に皆でビールを飲むのが楽しかったと記憶しています。

セミナーハウス

 水上悦子先生は、病院の隣にセミナーハウスを残してくれました。久米田先生と僕は、医者の仕事にはつきものの長い待機時間にここを活用しています。トレーニング室には、距離スキーをするようなマシーンや大胸筋や背筋を鍛えるマシーンがあり、当直の日や、安曇野医師会の夜間診療所に行く日など、出発までの空き時間に、そこで運動することができます。最近は、ほかの職員もたくさん来て運動しています。皆の健康に役立っていますよ。悦子先生に感謝です。

 参加を決めてから、地獄の日々が始まりました。トレーニング室にあるトレッドミルで、まず5km走ってみると、約40分かかりました。21.7kmを3時間以内で走るにはギリギリのタイムです。平日は週3日、ミルで5kmずつ走り、また週末には、クリニックの裏の拾ヶ堰から烏川の土手を、大糸線の線路とぶつかるところまで走って行って帰ってくるというルートで、往復12kmを走り込みました。

トレッドミル 最初は、トレッドミルのスピードを徐々に上げていけば、5kmを30分で無理なく走れるようになるだろうと思っていました。が、実際にやってみると、全くタイムを向上できません。スピードを上げると息が切れてしまうのです。屋外でのランニングも、雨の日に走って風邪をひいてしまいましたし、炎天下に走って熱中症になり、けいれんと嘔吐を繰り返す事態にもなりました。3か月間、他の行事を全く入れず、ただただ練習のみに打ち込みましたが、結局、走力は全く伸びず、不安を抱えたまま安曇野マラソンの当日を迎えることになりました。参加直前の目標は、「死なずに18km走ること」と、低めの設定にしました。安曇野マラソンのコースにはいくつかの収容関門があり、制限時間内に到達しないとバスに乗せられてしまいます。ゴール前の最後の関門は18km過ぎに設置されています。

 大会当日は曇りだと良かったのですが、台風一過ですこぶる晴天。おかげで、常念やアルプスの眺望は最高でしたが…。ハーフマラソンには5,000人が参加しました。初めて参加するランナーや自己申告タイムの遅いランナーは、先頭から7、8分遅れての出発となります。ゲストの有森裕子さんがハイタッチして送り出してくれるのですが、僕にはその余裕はありませんでした。

 5kmまでは、いつも走っている距離なので、それなりに余裕がありました。が、気温が高く、いつもより暑かったので、給水はしましたが、しんどく感じました。県外から来たランナーたちは、安曇野から見える常念などを撮影しながら余裕で走っていました。給水ポイント以外にも、あちこちに太鼓や笛で応援してくれる人たちがいて、自分の家の前に陣取って声をかけてくれる人たちもたくさんいました。6km地点の近くには透析の看護師、津田さん、9km近くには久米田理事長や小野君が、10km近くには透析の遠藤さんがいて、さらに15km近くでは、検査の佐藤さんが応援してくれていたらしいのですが、声援に応えるどころか、実は、応援に来てくれていたのも分かりませんでした。

 前半では、前を走る人を結構追い抜きました。が、後半はたくさんのランナーに抜かされました。途中で足をつって困っている人をたくさん見かけました。一人で走っていたら、きっと途中で歩いてしまっただろうと思います。が、周りにつられて走り続け、何とか最後の関門に到達。そこにあった大きな時計を見ると、関門閉鎖までには残り15分ありました。後少し走ればゴールです。コースの最後、ゴールの手前はわずかながら登り。ゴールの10m前には有森さんがいて、嬉しそうにランナーたちとハイタッチしていました。自分も何とかゴール。完走賞のお米とスポーツ飲料をもらって草叢で休んでいたら、足がつってきました。レースの途中でつらなかったのは、3か月間の努力の賜物かもしれません。10分くらいして、小原君も完走して到着。最後の関門には制限時間ギリギリに滑り込んだという話でした。先に着いていたME達と合流して、いざ打ち上げ会場へ…。

 当初は、3月まで柏原に来てくれていた透析の岩渕先生とご家族も参加する予定でした。それもあって、事務長の玄太郎さんが、打ち上げは俺に任せろと言ってくれていました。しかし、肝心の岩渕先生は、台風の影響でお子さんの幼稚園の運動会が金曜日から安曇野マラソンの当日に変更になったため、参加することができませんでした。岩渕先生は、実は20kmを75分という、箱根駅伝を走れるくらいのタイムを持つ俊足なので、今回参加できなかったのはもったいない限りです。ハーフマラソン組が打ち上げ会場に到着した時には、ファミリーラン組はすでに焼き肉を堪能し、子どもたちが締めのソフトクリームをチョコにするかイチゴにするかで悩んでいるところでした。遅れてきたおじさんたちも焼き肉とビールを頼んで、楽しいひとときを過ごしました。事務長ありがとう。

 人間はバカで、苦しかった3時間を忘れ、僕の場合はさらに練習に打ち込んだ3か月間も忘れて、打ち上げで焼き肉とビールを楽しんだことしか覚えていなくて、安曇野マラソン楽しかったね、また、来年も出ようか、となりがちなのですが…、実は今回、あれほど練習したのに体力、走力が変わらなかったことが、かなりショックでした。今回、完走できなければまた来年挑戦しようかと思っていましたが、何とか完走できたので、来年からは安曇野マラソンは神谷先生にお願いすることにしました。柏原の職員の皆さん、安曇野マラソンは僕が出たことのあるマラソン大会の中で一番素晴らしい大会でした。景色も素晴らしいし、コースも平坦で走りやすいし、何より地域の住民の方々が一生懸命応援してくれます。来年は、ぜひ柏原クリニックのユニフォームを作って、神谷先生と参加してください。僕は、応援の方で頑張って、打ち上げ会場で待ってます。

【関連ページ】
柏原クリニック > 当クリニックについて > 院長就任にあたって 『院長就任にあたって』
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<掲載日時 : 2023年06月15日>

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