子どもの頃の恐怖体験

夜の闇は人の色々な想像力を掻き立てすぎるきらいがある。冷静な判断力がつかない者は、むやみに夜闇の中を歩くことはしないほうがよいかもしれない。

 夜の闇は人の色々な想像力を掻き立てすぎるきらいがある。冷静な判断力がつかない者は、むやみに夜闇の中を歩くことはしないほうがよいかもしれない。私が子どもの頃には、夜といえば道も真っ暗で、人家の外には本当の闇が広がっていた。子どもが夜出歩くことは、大変に勇気のいることだった。日が落ちた後は、闇の中に想像の怪物たちがひしめいていた時代だった。


怪獣チコちゃん

 小学五年生の頃、夜、近くの郵便局へ郵便物を出しに行ったことがある。我が家からは1キロメートルくらい、歩いて15分くらいの距離だった。家を出ると、まず階段を下りて道に出るが、小さな人家が他に3軒ほどあるだけで、その先はずっと暗闇になっている。左手には山が迫り、右手は100メートル程、覆いかぶさるような竹藪が続いているが、その後は桑畑に変わる。郵便局に行くまでは、途中ギギの棲んでいる岩がちな淵の端を通って、小川に架かる橋を渡って行かなければならない。竹藪と山崖の間を進み、桑畑に近づくと、真っ黒い闇の中から「ギャオ、ギャオ」と何やら奇怪な音が聞こえて来た。そこで、一体何がいるのかちょっと見てみたいと思い、声の聞こえてくる方へ暗がりを歩き始めたものの、その声があまりに悪魔の叫びみたいな恐ろしいものだったので、近づくにつれ、まるで怪獣が泣いているみたいではないかと段々恐怖に感じられてきて、多少へっぴり腰になった。が、好奇心が勝って、なんとか桑畑の傍までたどり着いた。

 すでに暗闇に慣れた目をよく凝らして見ると、何と、体長50センチ程度の黒い子犬が、声を枯らさんばかりの恐ろしい大声で、「ギャア、ギャア」と鳴きわめいている。暗闇に吠える恐怖の怪獣の正体は、ただの可愛らしい子犬だったのだ。そして、小さい体に釣り合わないその大音声。保護を求めて大分長時間鳴いたのだろう、声がかすれてはいたが、それでも相当なボリュームである。かわいそうに、ガタガタ震えながらしゃがみ込んでいた。いたいけな姿に見合わないその声は、確かに怪獣映画の怪獣の吠え声に似ていた。いくらかしゃがれた渾身の大声量に、改めて、こんな小さな体からよくそんな声が出るものだと驚いて見つめた。

 恐怖と悲しみとひもじさと寒さと…ありとあらゆる不幸を背負った今の状況を切々と訴えかけるかのように、子犬が闇野で吠え続けるので、とてもそのまま放置しておく気になれない。子犬を抱き上げて懐に入れ、そのまま郵便局で用事を済ませた後、家に連れて行った。家の廊下で懐から出すと、ブルブルと体を震わせ立って歩くこともままならない様子ではあったが、ご飯をやってみるとものすごく一生懸命食べている。生命力のある子だと思った。それで私の一存で飼おうと決めた。

 父親は戌年で犬はあまり好きではないようではあったが、私が黒犬を連れ帰ったのを横目で見つつ、特に何も言わなかった。四つのまだ小さな足が、よろよろと震えている。今までよく生きていたものだと思った。そして、怪獣だって、寒い、かなしい、寂しい思いをしているのかもしれないな、などと思ったりした。子供を怖がらせる映画のあの大きな獣も、本当は孤独に耐えられないような気持ちで助けを求めていたりするのではなかろうか。捨て犬との出会いの夜は、私の想像力を刺激し、怪獣の悲しみまで感受させるという、記憶に残る夜となった。

 今、「チコちゃん」と言えば「チコちゃんに叱られる」という番組のチコちゃんが有名だが、この犬にも実はチコという名を付けた。そして大学に行くまで私のお供になった。

暗闇に回る火の玉

“アセチレンランプ”  石の下に潜んでいるアユを夜の暗闇に紛れて素手で掴み捕る。手の器用な人には、そんな芸当ができるらしい。夜のアユ捕りといえば、アセチレンランプを照らしながら浅瀬から投網を投げ、網に入ったアユを缶の中に放り込んでいくというのが普通の方法だ。そうして捕ったアユを、おじさんたちはよく生きたまま持ち帰っていた。しかし、石の下に潜んでいるアユを直接素手で掴んで缶に放り込むという特殊な才覚を持った猟師も稀にいるらしいという噂があった。

 子どもが夜に魚を掴みに川に行くことは、もちろん学校で禁止とされていた。が、どんなものか一度やってみたくなり、小学五年の時に、同学年の足の速い女の子(A・Yさん)を誘って、夜の川に降りて石の下を探ってみたことがある。

 その子と一緒に、河岸からさほど離れていない場所で適当な石の下を探ってみたものの、一向に手応えはなく、アユの気配すらもない。素手でアユを掴み捕るなどというのは、大変成功しにくい方法だということが、実際にやってみてよくわかった。

 川に入って何の成果もないまま10分程経った頃、一緒に来た友達の女の子が、不意に何かに気づき、突然「キャー!」と大声を出して、川から上がって逃げていった。そして、「火の玉だ、火の玉だ!」と叫びながら、近くにある自宅に駆け込んだ。その子の家は橋のたもとからそれほど離れていない場所にあった。その子はそのまま、その夜は二度と顔を見せなかった。

 私はノロマな方だったので、その子の突然の行動が理解できず、何が火の玉なのかもよくわからなかった。が、辺りを一生懸命見回し、何分も経ってから、ようやく何か異様なものがあるのに気がついた。暗闇の中に、1センチ程の小さな赤い球が浮かんで、不思議な動きをしている!火の玉か!? しかし、目を凝らしてその小さな震える鬼火のような火球の辺りをじっと観察してみると、青年団らしき男の人の姿も見えてきた。赤い球はタバコの火のようで、それがグルグルと飛び回る火の玉のように動いている。友達の女の子は私より足が速く先に川に降りていたので、その小さな赤い火をいち早く見つけ、本物の火の玉と勘違いして肝を冷やしてしまったのだ。

 赤い火の方に近づいていくと、二人の青年がやはり火のついたタバコを持っていて、それをわざとクルクル回したりしていた。しかも、こちらを見てクスクス笑っている。小さな女の子たちがいるので、どうやらちょっとからかってやろうと思ったらしい。

 これを見た私は、逃げ帰った女の子があまりにも不憫になってきて、タバコの青年たちに向って「悪戯してはいけません!」と一言放ってから、ゆっくりと歩いて家に帰った。私がしっかり注意したので、以後この青年たちもこのような悪ふざけは二度とやっていないものと信じている。

括られ自転車の恐怖

 このように夜闇の中では子どもでも冷静にふるまえた(と思っている)私だが、どうにも怖くてこれはとても無理だと思うことが一つあった。暗闇より怖い「括られ自転車」である。

 私が3歳くらいの頃、母の実家で法事があり、母と二人で泊まりがけで出席したことがあった。法事が無事終わり、翌日の早朝、母と私は朝一番のバスに乗るためにバス停まで歩いていった。おじさんが自転車を押しながら付き添ってくれた。

 幼かった私は、もっと速く歩くようにと促されながら、途中までは自分の足で歩いていた。が、早朝のバスはお客が少ないため、早く到着して行ってしまうこともよくあった。おじさんは、このままではバスに乗り遅れるかもしれないと、大人の目から見ればノロノロと歩く私に段々焦りを感じ始めたのだろう。途中で私を担ぎ上げ、背中に背負って襷(たすき)をかけ、そこまで押してきた自転車にまたがった。そして、私を背中に括り付けたまま、バス停に向かって急いで自転車をこぎ始めたのだ。停車場にバスが着いてしまったら、後からもう一人(母)がすぐ来るから、少し待っていてくれるよう頼もうという作戦だったのだろう。

 しかし、人生で初めて、自転車に乗る人の背中に襷で雑に括られた私としては、これはたまらない。自転車がちょっとフラフラとする度に、猛烈な危険が身に迫っているような錯覚を起こし、とても我慢ができなくなって、自分で歩いて行くから降ろしてと、泣いたり騒いだりしながらおじさんの背中でもがき始めた。背中に括った3歳児が猛烈に手足を動かしてジタバタと大暴れするので、当然、自転車はより一層不安定になって、ひどく左右に蛇行した。この時の血も凍り付くような感覚は今でも覚えているが、非常に危ない状況だったと思う。

 結局おじさんは私を背中に縛って自転車に乗って行くのをあきらめ、私は無事地面に下ろされた。おじさんにとっても恐怖の記憶になったかもしれない。

 人の体に縛り付けられ、覆いのない乗り物に乗せられ、自分の意思に関係なく他人の運転に身を任せなければならないという状況は、この上なく不快であったし、そもそもが不安定な乗り物である自転車で、泣き喚きながら背中で暴れる子供のせいでハンドルが取られ、一層不安定になってグラつくというような状況ではなおさらだ。その時の恐怖の記憶が今でもずっと微かにだが残っている。

 このことがあってから、他人の背に括り付けられて手も足も出ないような状態で自転車に乗せられるのは金輪際一切御免、言われても絶対にお断りと心に決めた。

2022年(令和4年)4月 水上 悦子

<掲載日時 : 2022年04月18日>

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