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 昭和56年4月1日、現松塩クリニック院長の水上哲太郎が、辺地医療に取り組むために、当時勤めていた市内の総合病院を退職して島々診療所を開設しました。歯科医療への要望が地元住民から強かったため歯科も併設し、 大野川にも歯科スタッフを派遣しました。その後、透析治療も行うことにし、同年7月31日に第1回の透析治療を行いました。当時の松本市内や波田町からも患者さまが通っていて、多い時には8人の患者さまが治療を続けていました。一時は患者さまの平均透析年数が23年を超えるまでになり、これは全国でも最長のデータではないかと思っています。

 地元の要望を受け、安曇村の開設する稲核診療所、沢渡診療所の経営も委託され、往診にも力を注ぎました。名古屋逓信病院の外科医長であった高橋清先生がいらして下さり、十数年お助けいただきました。平成15年から高橋信子医師が勤務されました。

 平成19年4月7日、最後の透析治療を行い、透析部門は終了しました。その後も、一般外来は診療を続け、在宅支援診療所として力を尽くしました。平成21年6月1日、医療法人金剛に経営を移管しましたが、平成24年4月1日より松本市の経営の下に、「松本市安曇島々診療所」として診療が続けられることになりました。

 

 柏原クリニックは、水上悦子院長の下に昭和57年9月9日に開業されました。柏原クリニックは一般外来と病室を併設し、今で言う総合内科的にあらゆる種類の患者さまに対応しました。院長は、血液透析と消化器内科を中心とする、外来診療の他に、病室も往診もすべて一人で診療して活躍しました。透析室は、7人の患者さまでの出発でした。開設して3年目の昭和59年に、それまでの酢酸透析から透析機械を入れ替えて重曹透析へ移行しました。その後、完全な重曹透析が始まったので、カーボスター透析に移行したのは県内で2番目でした。南安曇郡において、夜間透析を行う唯一の医療機関として、ずっと頑張り続けてきました。今後も、この姿勢は変わりません。

 

 松塩クリニックは、新井眞平先生を初代院長として、昭和60年1月に診療を開始し、サテライト透析施設として出発しましたが、患者さまを重症度によって選別することはせず、すべての患者さまを受け入れる施設として努力しています。村井下町に借家しての運営の頃から、数多くの若い透析医の先生方にお世話になりました。平成18年7月に現在の場所に新築移転し、ケア付き老人ホーム ウィズ村井と併設しての透析サテライトとなりました。患者さまの高齢化、衰弱、歩行困難に伴う悲惨な状態に対応すべく、打ち出された方針でした。以後、数多くの重症症例を抱えながら、努力を続けています。今は、水上院長と、曽根秀尚内科部長、薄井哲哉先生の3人で協力してやっています。

 

 医療法人金剛は、平成19年9月20日に、三つの事業を引き継ぐものとして設立されました。金剛という名前は、大乗仏教で言う、本当に正しい世界 金剛界を目指すという意味です。金剛のロゴは、アショカ王のチャクラの中心にイエローダイアモンド(金剛石)が輝いています。アショカ王のチャクラは、大戦争によって多大な犠牲を払いながら、国を統一した経験を省みて、愛や徳を及ぼして統治することの象徴として考えられたもので、インドの国旗にも取り入れられています。

 

 医療法人金剛と柏原クリニックは、より一層の医療の充実を図るため、平成26年9月29日に事業所を長野県安曇野市穂高柏原2849−1から長野県安曇野市穂高柏原4565ー1へ移転いたしました。
 移転への道のりでは、たくさんの方々にご協力いただきまして、深く感謝しております。
 高齢化に伴い、エレベーターの設置や車いすの移動ストレスが軽減されるように通路や各部屋を広くし、ユニバーサル面の充実ができました。
 2階は全て透析センターになっておりベッド数は30床、さらに3階病棟の個室と特別室(19床のうち、11床)は全て人工透析が受けられます。
 また、隣接のサービス介護付有料老人ホーム「ウィズ安曇野」は1階連絡通路で直結しており、外に出ずに医療が受けられるのも魅力の1つです。