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クリスマス・ツリー

作成日:2012年12月03日

 街にクリスマス・ツリーがライトアップされ、ジングルベルの曲が流れるようになると、思い出すことがある。

 1968年テレンス・ヤング監督によって作られたフランス映画「クリスマス・ツリー」をテレビで見たのは、昭和50年ごろであったと思うが、今では、主演俳優たちの名前もよく思い出せない。母を亡くした少年パスカルが父とコルシカの海で、水遊びを楽しんでいた時、近くに核兵器を搭載した飛行機が墜落し、空中で爆発した。父親は、海中に潜っていたので難を逃れた。パスカル少年は、ボートに乗っていた時だったので、放射線を被曝してしまった。バカンスが終わると、パスカルは登校し始めたが、だるい状態が続き、受診したところ、白血病と診断された。不治と告げられた父親は、必死に治そうとし、また、少年の欲しがっていたものを次から次と買い与えて、遂には狼まで動物園から盗んできて与えるまでした。成長期の息子の生活を少しでも充実させようとした。父親の恋人とパスカルの叔父さんの協力も、心を打たれるものだった。パスカルの病状は、進行をやめなかった。我が子の運命を受け入れることもできず、悩み苦しむ父に、少年の「しっかりしてよ」という場面が胸を打った。クリスマスの季節に、外出から帰った父親と恋人がクリスマス・ツリーの下にパスカルが息を引き取っているのを発見したのだった。

 その後まもなく、ある会社を訪れた私は、高校時代の友人M君に行き会った。店の奥にいた彼は、受付にいた私のところまで出てきて、訴え始めた。小学校低学年の娘さんが、難病に罹ったこと、死期が近いと言われていること、どうすればいいかと。彼は、藁にもすがる思いであったと思う。また、強く同情を求めていたと思う。私は、映画「クリスマス・ツリー」のことを思い出した。同時に、他の体験を思い出した。

 医学部を卒業してまもなく、私は、転落事故によって脊椎を損傷し、整形外科に入院していたことがあった。4人部屋で、大腿骨頚部骨折の高齢のお医者さん、脊椎カリエスの20代の若者、小学校高学年の少年が、同室であった。少年は、骨肉腫であった。人懐っこい性質で、鳩の鳴き真似がうまく、看護婦さんたちにもかわいがられていた。他の病室には、同じ病気の中学生の女の子がいたが、彼女は、何回目かの下肢切断を受けていた。こうした子供たちのために、行政から派遣された保護司(正式な名称は知らない)が、定期的に訪問し、子供たちを精神的に支えているのを知った。彼らは、子供の成長を旨として、励ましていた。例えば、「あなたは、ハンディキャップを持っているのだ。だから、甘えてはいけないんだよ。」などと言うのを聞いたことがある。

 私は、しばらく考えて、彼のお嬢さんのために最善と思われることを答えた。「本を読んであげましょ。」と。私としては、最善のアドバイスが出来たと思って、彼と別れ、当然、その通りしてくれるものだと思っていた。

 25年くらい後に、M君と再会することになった。天神の居酒屋的食堂であった。二人いた先客の一人がM君だった。連れが帰った後にM君は、私の方を見ようとせずに、つぶやきだした。

 「嫌な奴に会ってしまったぜ、人が子供のことで苦しんでいる時に、「本を読んでやれ」としか言わなかった。なんて冷たい奴だ。・・・・・」私は、すぐに、反論しようと思ったが、考え直した。私が、言葉足らずであったことに気が付いた。彼には、まず、同情の言葉を掛けるべきであった。その上で、お嬢さんの運命を受け入れるように、説得しながら慰めるべきであった。私は、子供のことばかり考えて返事をしてしまったが、何と未熟だったことだろう。また思った、今、彼にその時の心情を話せば、お嬢さんの成長を第一とした私の対応を理解してもらえるかもしれない。しかし、彼が、私の言葉に従わず、娘さんの成長を放棄した対応を以て、子供が死に至る何ヶ月かを過ごしたことに気が付けば、父親である自分が、唯一与えられる子供の成長と、死に至る過程における父と子の正しい触れ合いを蔑ろにしたことに気が付くであろう。どうするのが正しいか、私は分からなかった。

 私は、何も言わずに彼と別れた。

 今でも、私には、あの時、どうしたら良かったのか分からない。

 しかし、私の診療の中では、この経験が生かされている。

 高齢化社会が進行し、認知症の家族を抱える家庭が増えている。世話の焼き方によっても、夫婦や親子の間に軋轢が生じる。

 私は、介護する立場の人たちに、このように話す。「結論だけすぐ言ってはいけませんよ。」最初に自分の温かい気持ちや、心配している気持ちを表明して下さい。そうしないと、病人がご家族を敵と考えてしまいます。

 私が、人の心の弱さ・脆さを痛烈に思い知らされた経験であった。

 私は、臨床医として名医になれる素材でないことを自覚している。だから、ひたすら良い医師であろうと心掛けてみた。しかし、これもなかなか難しい。そこで不良であっても、悪くない医師を目指すことにした。それでも、「失敗したなぁ」と感ずることは、しばしばある。自分が診ていた患者さまに亡くなられた時など、それ以前より、少しは真面目になる自分を感じるが、いつまで経っても反省することばかり多い。「自分は、地獄に堕ちる人間なのだ。」との思いが、年々強くなる。地獄に堕ちた自分のイメージを色々に考えてはいるが、それで心が慰むわけでもない。「クモの糸」のカンダタを思うことがある。地獄に堕ちた水子とそのそばにいるお地蔵さんを思うこともある。

 街に、クリスマス・ツリーが飾られる頃になると思い出す。M君は、どうしているだろうか。

 

初出:松本市医師会報  2012(平成24年)12月号  第535号