• Increase font size
  • Default font size
  • Decrease font size
印刷

皇位継承とミトコンドリア

作成日:2011年10月19日

 孫のために小学生向けの図鑑を買うまで、私は知らなかった。原始の海を漂う原核細胞の中へ、小胞体やゴルジ体などの微生物が侵入し、または、取り込まれて、真核細胞と呼ばれる現代の生物の体細胞を構成する細胞が出来上がったのだという歴史を。諸生物に進入された原核細胞の核は、自らを守るために核膜を形成し、真核細胞となったという。侵入者には、葉緑体(シアノバクテリア:藍藻類)やミトコンドリアもあり、この二つは、遺伝子を持っている存在であった。シアノバクテリアが入った細胞は、植物細胞になり、入らなかった細胞は、動物細胞になった。

 推測すると、今、35歳以下の人たちは、初等・中等教育において、この知識を学んで来ている筈であり、我々老医から見ると、まさに「後生恐るべし」の存在である。

 ミトコンドリアDNAは、世代交代の時、母方のものだけが受け継がれていく。母系社会における一族は、他の一族からやって来た男を除いて、全てが同一のミトコンドリアDNAを持つ集団であるといえる。漢族や朝鮮族では、娘は、母親の姓を継ぎ、息子は父親の姓を継ぐ伝統が維持されている。彼らの間で、姓が同一であるということは、ミトコンドリアDNAも同一であるといえるのであろうか。これについては、寡聞にしてよく知らない。同じ姓のものが全て同じミトコンドリアDNAのタイプでなくても、何種かのDNAタイプに限られるということは、言えるのではないかと思っているが・・・。一方、男子の姓では、姓は受け継ぐが、ミトコンドリアの型は、母親から受け継ぐものであるから、代々変化して、一定でない。すると、姑と嫁の争いの要素の一つに、ミトコンドリアDNA同士の戦いの要素が加わることになる。そうした観点から、女の争いを見るというのも、一興かもしれない。室町時代の終わりには、A家の下男と、B家の下女が恋愛して、子供が生まれると、男の子はA家の、女の子はB家の所有とされたという。織田信長は、この制度に反対で、家族というものは、一緒に暮らしているべきだという考えを持っていた。信長の先進性は、こんなところにも表れている。いま、私たちは、夫婦同姓の社会を当然とする中で生きているが、もし、信長公なかりせば、夫婦別姓の社会が出来ていただろうか。

 日本の歴史上、男系相続も長子相続も、初めからあったものではない。神武天皇の大和入りは、物部氏の末娘との結婚により行われたものであるという。そのために、九州から10年くらいかけて大和に入った神武天皇の東征は、東遷とも呼ばれており、平和的な移動であったことを窺わせる。当時の日本では、モンゴロイドの一般的な風習と同じく、末子相続であり、たとえ末子が女性であっても、この伝統が守られていた。末娘が、物部氏の家督を相続し、その夫である神武天皇が物部氏の資産を仕切ったり、大王の地位にも即くことになったのだろう。大陸から、中国の文明が伝わってきて、長子相続が正しいという教えが広まり、仁徳天皇の頃に相続制度の転換が行われたようである。仁徳天皇には、兄思いの弟がいて、この方も優秀な人だったので、ご両親ともこの弟をかわいがり、末子相続を疑っていなかった。ところが、ところが、弟君(おとうとぎみ)は、兄を差し置いて、自分が皇位を継承するのを間違ったことと考え、自殺してしまった。この時代が、新旧文化のせめぎ合いの時代であったと考えられる。ともあれ、弟の死によって、聖皇仁徳帝が誕生したのである。

 大和朝廷時代には、何人かの女帝がいる。但し、女帝の存在は一時的という意識も存在していたようである。長屋王の事件は、この時代に起こった。これは、長屋王の神武天皇化を防ぐ目的で行われたクーデターであったと考えられる。長屋王の支配がより確固たるものになっていれば、このクーデターは成功せず、長屋王の支配は益々堅固なものになり、天皇家でなく、長屋王家の王朝が出現していたかもしれないが、神武帝時代に比べて、社会が進化していたために、そうはならなかったということだろうか。

 私は、戦前の教育もわずかに受けているが、子供心に納得できなかったのは、「日本の天皇は、万世一系であるから尊い」という主張であった。一人の男の家系に、代々男の子が生まれて、その家系が長く続いてきたということは、確率的に珍しいことではあるだろうが、それが何故尊いのだろうか。途中で、女子しか生まれなかった世代があって、男系が途絶えると、何故、尊くなくなるのだろうか。統計的に珍しいから尊敬しろと言われても、そんな意見は受け入れられないと思った。ただ、他人の相続のことに過ぎないから、その家の人たちの選択に任せて、暖かく見守りましょうと言われるなら、それはそれで認めても良いと思う。男系継承は、ゲノムにとって、有意義であろうか。継代におけるミトコンドリアDNAの連続を防ぎ、遺伝する形質の大部分を司るゲノムが支配権を握ると言えないこともない。だからと言って、それが、現実に有用であるとは言えまい。遺伝学的に、殆ど意味がないと言える。亜系まで含めると、20種類以上あるミトコンドリアDNAに皇位継承への門戸を開放することは、間違いないと言える。但し、日本人が文化的伝統として千年以上維持してきた制度により、世界でも珍しいケースが出来上がったものとして、今後の日本人が愛着を持ってこれを維持し、天皇家には無理を承知で引き受けていただくのは、面白いことだと思う。長年にわたり、天皇家の男系相続を維持するための伏見の宮家のご努力にはまったく頭の下がる思いであるが、生殖技術も進歩し、体外受精、男女産み分けが可能になってきた今日、この制度を維持することも、昔より、簡単になったと考えられるからである。

 それよりも、私が気になるのは、女性研究者たちのキャリアの維持についてである。戸籍制度という、世界に類のないシステムによって、結婚によって姓が変わると、彼女たちの研究実績等が、その段階でスムーズに続かないことがある。ある女性研究者が、国際学会に招かれたが、旧姓で招待状が来ていたため、新しい姓のパスポートを見て、別人であると言って、入国を拒否されてしまったと言う事例があるそうだ。ある国家公務員の女性は、旧姓のままで発表活動を続けたところ、役所からお咎めを受けたという。新聞にも載ったからご存知の方も多いだろう。もし、海外でこのようなことが起これば、大問題になって、議員立法してでも、優秀な女性研究者たちを守る方便が取られるだろう。

 今の日本のような国はいけないと思う。Frown

 

初出:松本市医師会報  2011(平成23年)11月号  第522号