• Increase font size
  • Default font size
  • Decrease font size
印刷

エリー湖のヤツメウナギ

作成日:2011年7月14日

 五大湖周辺の河や湖では、ブラウンマスのフィッシングが楽しまれていたが、エリー湖の生態系に異変が起こった。エリー湖にヤツメウナギが棲みついて、ブラウンマスが被害を受け始めたという。ヤツメウナギは、顎の無い円い口でマスの腹に吸い付いて、穴をあけて、内臓を吸い出して食べるのだという。ヤツメウナギが一度に食べる量は、大したことは無いのだが、穴がふさがらないまま、腸などを水中に漂わせながら泳いでいるうちに、マスが弱って死んでしまうのだと言う。この地では、ブラウンマスは、在来種であり、ヤツメウナギは、外来種であるから、外来生物による生態系破壊の典型的な例であり、カナダ人や米国人にとっては、自分たちの文化が破壊されたことにもなる。ブラウンマスは、結構、繁殖力も強く、降海型、降湖型、河川型などの形態をとって、川や湖沼や海の間を往来して、逞しく生きている。同じサケの仲間であるニジマス圏にも入り込んで、その魚食性(他の魚を食べてしまう)の強さによって、在来の種を激減させたりもする。これは、アフリカ・オセアニア・ヨーロッパでも広く見られてきた現象で、日本でも釣り愛好家が放流したブラウンマスによって、その地の生態系が侵食されていることは、よく知られているが、日本人の温和な性格からか、外来種撲滅の断固とした政策が採られた例は殆ど無いと言ってよい。

 ヤツメウナギといえば、わが国では滋養強壮の食品として有名で、昔は、売り歩く商人もいた。ヤツメウナギ売りがオイコラ警官に取り締まられている笑い話がある。何かの理由でお巡りさんにとっちめられていたとき、

「こ奴め!」

「それは、30銭でございます。」

「太い奴め!」

「この太いヤツメは、50銭でございます。」

「益々太いヤツメ!」

とお巡りさん怒り狂う。
と言うような話であったが、当時の庶民が警官に対して持つ、からかいの感情が表されていた。

 ヤツメウナギといえば、ナメクジウオ(これも曽ては食べられていた)とともに古代魚に属し、化石生物と見なされる脊索動物に次ぐ位置を占める原始的な脊椎動物である。円口を持ち、無顎類と呼ばれる。一時は、動物の中で、そのゲノム量が最大と言われ、不思議な存在であった。最近では、この遺伝子量は、繰り返しによって膨化しているものであり、C値が高い存在とされるようになったので、ゲノム数一位の座はハイギョに取って代わられた。生殖細胞と体細胞でゲノム数が異なり、成長とともに体細胞のゲノムを切り捨てて数を少なくするという不思議な性質を持っている。ゲノムや染色体の数は、実際は、生物の特徴とは関係ないとされているが、私は、何となくヤツメウナギを尊敬すべき神秘な生き物と考えてきた。遺伝子の切捨ては、成長とともに余分な遺伝子を無くすことで、発生初期に使われる遺伝子が、後になって、がんの発生に関与するのを防いでいると解釈されており、がん予防の見地から注目されるようにもなっているそうだ。生殖細胞の遺伝子は、このような切り捨て機序にあわないため、生まれたときのままの数が保たれているのだそうだ。

 このように、ヤツメウナギは、私から見ると神秘的な存在であり、次代を、どう受け継ぐかについては、未知であるが、何となく保護して残したいという気持ちが強く働く。しかし、ヤツメウナギが在来している地域では、外来のブラウンマスを退治することが、当然許されるとしても、逆の立場であれば、ヤツメウナギの方が、その土地の文化社会の習俗に馴染まないものとして、淘汰されるのもまた止むを得ないことになるだろうか。

 無顎類は、見た目に美しいとは言えず、むしろ少し気味悪いと感じる人も多いだろうが、栄養源として食べる食生活の伝統に馴染んだ人にとっては、涎が出るのかもしれない。蒲焼や肝焼きにしたり、干物にして焼いて食べたりする。目に良いと言われている。馴れないと癖が強くて美味とは言いがたいものだが、十全大補酒を飲みながら食すと、臭みが緩和されて食べられる。補中益気酒を作って、試食してみたら、どんなものかと考えている。

 結局、エリー湖のヤツメウナギは始末されることになった。そこで、アメリカ人が採った手法は、以下のようである。

 まず、エリー湖全体に毒を流して、その生態系を全滅させた。全滅を確認して何ヵ月後かに、ブラウンマスだけを放流した。これは、私をギョッとさせるに余りある手法であった。そもそも、これは、エリー湖周辺の漁民や漁業を守るための目的でなされたものではなかった。釣りを楽しむ上流階級の人々のレジャーを確保するためのものであったと感じられる。数年前から、東太平洋における日本漁船のマグロ捕獲が問題となり、漁獲制限を科されたが、このときの漁獲制限は、クルーザーでマグロ漁を楽しむ階級のために行われたものであり、アメリカの漁業や漁民を保護するためのものではなかった。クルーザー釣魚産業は、アメリカの高級レジャー産業として、年間3億ドルの規模を誇っていたためであった。自然保護、生態系の保護、世界の資源の公平な分配という立派なお題目の中で、人間の平等とは、逆の見地からの決定がまかり通っているようである。我々はともすれば、結果としての経済的利益の方に、より多く配慮することに慣れてきており、人間の不平等という観点からの思考を放棄して、これらの現象に目をつぶりがちであるが、そのことが、世界中の貧しい国々から臓器提供を目的とした人身売買をも引き起こさせているように感じられる。

 さて、このエリー湖のブラウンマス保護の顛末から、よく似た医療行為にお気づきになりませんでしたでしょうか。そうです、これは、骨髄移植の手法と全く同じ考え方に基づいています。骨髄移植では、骨髄に放射線をかけて癌化した白血球を焼いて絶滅させてしまう。その後に、ドナーから貰った骨髄細胞を注入する。これで、正常な白血球やリンパ球が増殖してくるのを待つのである。

夏のホラーとして如何でしたでしょうか。Tongue Out

 

初出:松本市医師会報  2011(平成23年)8月号  第519号